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「犬猿の仲」 佐伯泰英
Vol.10(2004年11月発行より)
初代飼犬コロが死んだのはちょうど十年前、梅雨の時期だった。

近くの祖師谷公園で散歩していたとき、突然きゃんきゃんきゃんと鳴いて腰を落とした。その様子があまりにも異常だったので、動物病院に連れていった。獣医の診断では腰から足へと向かう太い血管が切れたとか詰まったとか、下半身が麻痺してすでに冷たくなっていた。

入院治療が続いた。倒れてからおよそ十日か、獣医が電話をかけてきた。
直る見込みがないから自宅で最後の時を迎えさせないかという提案だった。僕と娘が病院に駆けつけ、雨中、車を止めた駐車場まで戻ってきた。車に乗せようとした時、コロの体が急にだらりと弛緩して僕の腕の中で排尿を始めた。病院では気を張っていたのか。飼い主の腕に戻されたと知って、ほっと安堵したのか。じゃあじゃあといつまでも小便をした。それが雨と一緒に混じり、僕の下半身を生暖かく濡らした。(もっと早く家に連れて帰るべきだったか)

コロは七歳から八歳にかけて四百余日、家出をしたことがあった。それまでもプチ家出をしようと色々と画策してきたコロだった。奇跡の生還した後、家族の目の届かぬところへは絶対行こうとはしなくなった。そして、公園などで捨てられたコンビニ弁当を見付けると思わず走り寄っていった。放浪の時期、拾い食いして生きてきた名残だろう。ともあれ、最後は家族に看取られて死んだ。

僕は腑抜けのようになり、犬仲間の小林伴子さんに電話をしては愚痴ばかりを零した。愛情を注いでいたペットを亡くした者の喪失感、寂寥感、無力感は計り知れない。そいつを直すには時の経過か、あるいは新しい動物を飼うしか方策はないと、僕も承知していた。だが、新しい動物を飼う勇気がなかった。ただ、仕事の合間に伴子さんに電話して愚痴ってばかりいた。

コロが死んで一年が過ぎた頃、伴子さんが、「ちょっと家に来ない」と電話をかけてきた。車で伺うと彼女も乗り込んできた。「どこに行くの」「まあいいから」僕の胸の中に漠然とした予感があった。彼女に命じられるままに見知らぬ街を三、四十分も走ったか。梅雨の時期と重なり、どこか暗い感じの西川口の住宅街の中にそれはあった。「ここだと思うけど」伴子さんも半信半疑で僕の車の助手席から降りた。ペットショップというにはそれらしき店構えでもなくケージも見えなかった。

若い女の人が一人、沢山の雑巾を部屋の中に干していた。伴子さんが用件を伝えると、「はい」と返事して奥から一匹の柴犬を連れてきた。もう生後三ヶ月にはなっていたろう。子犬の愛いらしい盛りは過ぎていた。若い日のイチローにも似た風貌でえらく大きな耳ばかりが目についた。その店のただ一匹の'商品'がこの犬だった。干された雑巾の下で仔犬は僕を縋るような目で見た。伴子さんが、「抱いて御覧なさいよ」という表情で僕を振り見た。一年ぶりの犬の感触に触れたとき、飼主と飼犬の間だけに流れる「運命の出会い」を感じていた。

あの暗い夕暮れから九年余が過ぎた。その間、伴子さんは舞踊家として円熟期を迎え、僕は現代小説から時代小説に転向した。そんな飼主たちの気まぐれ人生を、シバが、ビダが、ポチが(無論グリを始めとした猫たちも……)(ほんとにおかしな飼主だよ)という風に見詰めてきた。おそらく動物を飼ったことのない人には分からぬ瑣末な話だし、感覚だろう。この話には結末はない。ただ自らの経験に照らして言えることがある。

舞踊家小林伴子の喜怒哀楽の戦いを、シバを始めとした動物たちが見詰め、励まし、癒してきたという事実だ。動物たちがスタジオ創立二十年を密かに支えてきたのだ。それは確かだ。だが、これ以上、動物は拾ってこないで下さいな、伴子さん!アトリエ・ラ・ダンサ二十周年、おめでとうございます。
佐伯泰英プロフィール
’70年代、一家でスペイン在住、闘牛を取材。
帰国後写真家、ノンフィクション・ライター、小説家として活動。その後、時代小説の作家として大ブレーク。
代表作
「密命シリーズ」
「古着屋総兵衛シリーズ」
「居眠り磐音シリーズ」
「鎌倉河岸シリーズ」
「吉原裏同心シリーズ」 など多数
 
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